We came a long way…
撫子寄合は、2000年にJapan ASL Volution(JAV)として設立され、東京の代々木にオフィスを構えました。ペギー・プロッサーと広瀬芽里のろう女性2人が事業を継続してきました。後に、会社名を手話交差点、Then Sign Language Intersection(SLI)に変更し、新宿区と中野区の新しい事務所に移転しました。
また、JAVからSLIへの移行から数年以内に、ペギーと広瀬は仕事と勉強のために海外へ出発しました。当時、事業の後継者がいなかったため、最終的には会社を閉鎖しなければなりませんでした。
2014年にペギーが帰国し、筑波技術大学の研究プロジェクトチームで手話と英語の講師として、また葛飾ろう学校の外国語指導助手(ALT)としてパートタイムで働き始めました。さらに、ペギーは、グループ、組織、そして個人からのASLや英語のレッスンの依頼に応えました。
広瀬は数年後の2017年に日本に帰国しました。彼女は海外に住みながら働いた経験を発表するため日本中を津々浦々に至るまで駆け巡りました。彼女は多くの日本人、特に若いろう者にロールモデルとして多大な影響を与えてきました。広瀬は、留学して働くためには、その国の言語を学ぶか、彼女とペギーが異国で過去に何度も使用した翻訳または通訳サービスを使用する必要があると痛感したのでした。
そしてその頃、7年間徒歩で世界を旅した日本人ろう者男性、松本紀彦が帰国しました。ペギー、広瀬、松本は、海外での生活や仕事の経験について情報を交換するために集まりました。 3人は、他の聴覚障害者とこの経験を共有すること、そして他の文化や言語を学ぶための勉強や準備が必要な日本人を支援することの重要性を認識しています。三人は、さまざまな語学サービスやクラスを提供する撫子寄合を始めることにしました。
2021年、牧野まなえが入社。まなえはアメリカで英語とアメリカ手話を勉強していました。まなえはエネルギッシュなろうの女性で、アメリカ留学や海外での経験を活かせることにわくわくしています。まなえは撫子寄合のメディアプラットフォームの担当であり、手話に関するストーリーや情報をソーシャルメディアで共有します。
4人のオーナー全員が、文化と言語について学びつつ、撫子寄合の参加者の経験を向上させることを目指しています。